投稿者: npk_osaka

  • ■大阪市は労組との癒着を脱却できるか

     先日来、橋下市長指導の下、野村市政顧問が全ての大阪市職員に対して、組合
    活動の実態を把握するためにアンケート調査を配布も実施しようとしたが、市労
    連が猛烈に反発、[府労連]では実施凍結の勧告を出し、ひとまず市側がアン
    ケート結果を破棄することとなった。しかし、これまで組合の職務中の組合活動
    が公然と行われ、とりわけ選挙においては職務中のメールでの指示や現職首長へ
    の後援カードなどの配布活動など頻繁に行われていた。第一、市労連の事務所が
    市役所の中にあり、さらに任意団体であるにもかかわらず、賃料も払うことなく
    も長い間、借用されていたこと自体、首長と労組との深い癒着があったことは誰
    でも知っていたことである。

     従って、その癒着関係の実態を具体的な事例にまとめることを目指して、処分
    の対象にしようとしたのが、今回のアンケート調査であった。橋下市長の毅然態
    度によって、どうやら組合事務所は市役所から退去せざるを得ない事態となりそ
    うであるが、アンケート調査に対する労組の反対は連日の市役所前での情宣活動
    や集会など大変なものであった。

     しかし、こと、労組活動について職務中に組合活動をしているのかどうかを調
    べるだけであるのに、職員に対する思想・信条に対する政治介入であると声高に
    批判した姿をほとんどの市民は鼻白い思いで見ていたのではなかろうか。

     その意味では橋下市長の少なくとも市役所の伏魔殿である市長と労組の癒着を
    断ち切ろうとしている態度にはほとんどの市民は賛意を示しているのではないか。

     この文章を書いている時に今度は大阪市交通局が独自に部局幹部及び職員に組
    合との関わりについてアンケート調査を実施したところ、人事などについて組合
    に事前に交渉したことが明らかとなるとともに市議会交通水道委員会では、組合
    が当時の平松市長支援の選挙ビラを発行していたことがわかり、公選法違反の疑
    いがあることがわかった。橋下市長はこのことが事実とした場合には、刑事告発
    も辞さないとしている。

     これまで市と組合の癒着についてあると言われながら、具体的実態はほとんど
    公表されることがなかったが、市長の毅然とした姿勢に対して交通局自身が実態
    調査に乗り出し、しかも公表したことは労組支配を脱却しようとする自浄作業で
    あると期待したい。

  • ■政府と沖縄県が共催して復帰40周年式典開催へ

     民間が日本会議沖縄県本部を中心とした実行委員会が主催して5月12日に40周
    年記念大会を開催するのに続いて、15日に政府と沖縄県が共催の形で記念式典を
    開催することとなった。当初は政府はあまり動きがなかったが、地元民間及び全
    国から本土と沖縄の絆の原点を再認識する世論が高まる中で、これらの動きが政
    府を後押しした格好となった。考えてみれば当然のことであるが、政府が決断し
    た意義は大きい。

     問題は記念式典のプログラムである。単なる復帰40周年だけでは意味がない。
    しかも宜野湾市内で開催するわけであるから、これまでの沖縄県が祖国へ復帰す
    るまでの歴史だけでなく、これからの沖縄の防衛と発展を国全体が役割分担でき
    るような方向を見出していく式典にしていくべきだ。政府の本気度がわかるとい
    うものだ。

    ●沖縄復帰40周年式典を開催 5月15日、首相も出席へ
     [産経ニュース 2012.3.9 11:08 から抜粋]

     藤村修官房長官は9日午前の記者会見で、沖縄の本土復帰40周年となる5月
    15日に、国と沖縄県の共催による記念式典を同県宜野湾市で開催することを明
    らかにした。野田佳彦首相も出席する方向。

  • ■3月11日は被災で亡くなられた方々への哀悼の意を表しましょう!

     政府は既に2月24日に東日本大震災の被災のあった3月11日に当たっての国民
    の対応の仕方を閣議了解しています。

     東日本大震災1周年に当たる3月11日、各公署、学校、会社、その他、各家庭
    において、弔旗を掲揚し、被災された御霊に哀悼の意を表すとともに、一日も早
    く被災地の復興と被災された方々が元の生活に戻りますよう、また新天地で生活
    をされている方々には一日も早く明るい希望が持てますよう祈るとともに、多く
    の方々の支援に対して感謝の誠を捧げたいと思います。
     天皇陛下は当日、政府主催追悼式でご出席されるとのことで、テレビでの放映
    もありますので、是非、テレビをつけて頂いて、哀悼と祈り、感謝の時間を持ち
    ましょう!

     天皇陛下には、ご退院され、胸水の水を抜いたばかりであられるのにもかかわ
    らず、一貫して追悼式へのご出席を心にかけておられたとのこと、ご体調がご快
    復されることを祈るばかりです。

    ●東日本大震災一周年追悼式の当日における弔意表明について
                        [平成24 年2月24 日 閣議了解]

    東日本大震災一周年追悼式の当日(3月11 日)には、哀悼の意を表するため、
    次のとおり措置するものとする。

    1 各府省においては、弔旗を掲揚するとともに、各公署、学校、会社その他一
      般においても同様の措置をとるよう協力方を要望すること。

    2 国民各位に対して、本追悼式中の一定時刻(午後2時46 分)に黙とうを捧げ
     るよう協力方を要望すること。

  • ■誇りと絆をもって、前に向かって進んでいくことを誓い合った「復興祈念の集い」

    ~震災後、初めて被災地へ。何もかも押し流され、いまだに震災の爪痕が残る荒浜周辺を巡る~

     

    ポツンと残された松-荒浜近辺
    ポツンと残された松-荒浜近辺

    昨日3月4日(日)の朝、仙台市民会館で開催される「東日本大震災復興祈念の集い」に参加するために、衞藤運営委員長、広中運営委員とともに飛行機で仙台空港へ向かった。
    日帰りの強行軍であったが、震災から1年、被災地には1度も足を踏み入れることができず、心苦しかったが、「集い」開会の前の時間で、この機会に是非、被災地の様子がどんな状態であるのかを実際に目にしておきたいこともあり、帯同した次第である。

    飛行機の窓から眼下に見える東日本の山々は、真っ白い雪の絨毯が一面に敷かれていることがよくわかり、この冬の積雪がいかに多かったのかがよくわかった。

    仙台空港に着き飛行機から出ると、やはり底冷えする風が吹いている。宮城に来たのだと肌身で感じる。既に滑走路は1年前に津波が押し寄せたとは想像すらできず、ここまで復旧するまで膨大な作業があったのではないかとしのばれた。
    空港から広中氏が運転するレンタカーで被災地を巡る計画であった。

    すぐに空港から海岸側には広大な一面に、雪で覆われ、本当に何もなかった。
    お墓の一部が倒れ、もともとあったお寺はない。墓石が半分に割れているものもあった。その隣の神社も本殿だけがポツンとあるだけだ。この神社は津波で拝殿が半壊、昨夏に拝殿を取り壊したという。流されなかったこと自体が驚きだ。本殿に犠牲となられた方々へのご冥福と一日も早い復興をしばし、お祈りをした。ほとんど瓦礫がなくなっているが、部分的に鉄材の瓦礫がうず高く集積されている。

    程なく浜の方でも車を止めた。防風林の松林が横殴りに倒されたままになっている。既に色が茶色に変色している松もある。これだけになってしまったのは、多くの松が津波とともに内陸に家屋を削る凶器となったことは容易に察せられる。

    次に県道10号線を北上し、この当たりでは最も被害が大きかった荒浜のヘリポート近辺を通過。震災前のここは住宅地であったが、ほとんどの家は基礎の土台があるだけで、あとは何もない。津波がなければ、これから家を新築と勘違いする程だ。ほとんど波が根こそぎ、呑み込んでしまったことを物語っていた。県道沿いに漁船が点在し、こんなところまで打ち上げられ、まさかこんなところになぜあるのか、疑問に思うほど当時の津波の圧力が大きかったことがわかる。完全にこの一体は死んでしまった感を強くした。かろうじて残った家も、一階部分が空洞となっていて、カーテンだけが寒風に揺れながら吹きさらしとなっていて、見るも無残な状態だ。

    住宅地帯から田圃が広がっている場所となると、やはり雪で覆われていて、田圃なのかわからい状態となっているが、ヘドロを含んだ海水が入り込み、どす黒くなっており、例年、3月中ごろから小麦の作付けが行われるとのことであったが、見る影もない。しばらくは塩害のため、この田圃を使うことは無理だろう。

    仙台市内に入るまで、多くの人々の生命と建物を一のみにし、押し流してしまった自然の脅威は、「猛威」と形容するしかない、人智を超えたものである。しかし、通過する車両や自転車に乗っている人々の表情は、既になにもなかったかのように、生活していることに、この1年の時間の経過を感じたのも事実であった。

    東部道路を横切る当たりからは、津波の影響を受けておらず、また倒壊している家屋もない。この道路が高台の役割を果たしており、仙台市内は当時、ライフラインは甚大な影響があったものの、基幹機能は果たしていたことがわかる。それほどの距離でないにもかかわらず、明暗が分かれている。

    信じ難い様子を強烈に脳裏に焼き付けながら、昼食後、集いが開催される市民会館に到着した。

    1200名の参加者で会場は満杯。女優の東ちづる氏が司会進行をされていたことも、新鮮味があった。参加者全員による鎮魂の祈り、そして震災直後の天皇陛下のお言葉と御製を復興に当たられた人々の表情を映し出すビデオを辿りながら拝聴したが、ここに復興祈念の願いが国民を代表して語り尽くされていることを十分に受け取り、この時この場所で祈念させて頂いたことで、自然と会場が落ちついて、決してあの震災を忘れてはならないという誓いをする厳粛な雰囲気に変わっていった。

    政府代表の挨拶、各界からのご挨拶と続いたが、奥井・仙台市長がこれから何回も春を迎えることとなるが、被災地の人々にとっては、もうかつて同じような気持ちでは春を迎えることができなくなったという挨拶は重かった。

    追悼講演では作家の曽野綾子氏が「誇りと絆-大震災を乗り越えて」と題してお話しされたが、安心した生活というのは一生のないこと、過去を振り返らずに前を向いていくという生き方が素晴らしいこと、震災によって、勇気ある誠実な人々がいたこと、亡くなった人々の思いに生きるとは死者が何を望んでいるのかを考えることであり、生きている人には健康で満ち足りた生き方をしてほしいと願っているはずであり、残された人々には生きる義務があるとされた。
    また一国のリーダーでない私たちには置かれた立場でできることがあること、それは確実に一本の鋲や栓となることであるとされ、何もできない自分達が被災された方々への対し方を教えて頂いたような気がした。最後に、聖フランシスの祈りを紹介され、希望、和解、喜び、光は与えられるより、与えること、愛されるより愛することに価値を置く生き方をしていくことがどんなに崇高であるのかを訴えられた。

    参加者の中には、私たちのような被災地から離れている人もいれば、実際に家族を失い、生活の糧となる会社や漁場、学校を失った人々が同じ場に集っているが、皆、心を一つにして過去は過去として、それぞれの場所でできることをしていくことが大切なのだということを、ご教示頂いたような気がした。

    被災地からの挨拶として、フィギュアスケート選手の羽生君(東北高校2年)、宮城県漁協唐桑支所の畠山運営委員長が発表されたが、苦労の中にも着実に前向きに生きていこうとする姿があり、こちらの方が勇気を頂いた。

    また歌のコーナーも地元のシンガーソングライターや高校音楽家生徒が、自分の体験に基づいた歌を披露して頂き、胸を打った。

    復興へ願いを参加者と一体となって確認することしか、前進はないこと、そうして政治はこの声に応えていかねばならないという思いをさらに強くして会場を後にした。

    そして午後7時頃、仙台空港から大阪空港に到着したのであった。

  • ■門田隆将氏の最新刊「太平洋戦争 最後の証言 第2部 陸軍玉砕編」をお読  み下さい!

    昨日3月3日、門田隆将氏の最新刊「太平洋戦争 最後の証言 第2部 陸軍
    玉砕編」を深い感慨のうちに読み終えた。
     いろいろな事をしていながら、この書に触れることによって、精神のバランス
    を保っていること感があった。

     第1部 の「零戦・特攻編」に続く、大東亜戦争での生き残った方々への聞き
    取りを中心とした、まさに現代への証言と言えるものだ。是非、ご一読頂きたい
    書である。

     門田氏といえば、光市母子殺人事件で原告の本村さんの素顔をずっと追った取
    材でも注目された作家である。

     ガダルカナル、ニューギニア戦線、インパール、サイパン、レイテ島、ルソ
    ン、硫黄島、沖縄、占守島とほとんどての部隊が玉砕した模様を生き残りの方々
    から詳細に取材をしている。各戦場で生死を超えて戦われた元兵士を通じて、英
    霊の方々の御姿をイメージすることができる。マラリヤ、赤痢、飢餓、ウジがわ
    く等、負傷したり、ご遺体を通じて、生死の分かれ道が生々しく描かれている。

     昨日、今、話していた戦友が次の瞬間には既に亡くなっていく中で、何故、自
    分には弾が当たらないのか、神様が何十万分の一、何百万分の一に自分に生を与
    えていると宿命づけられているとしか言いようのないという感慨が多くの生き残
    りの方々の言葉から感じられる。その方々の言葉を文字にできたことは本当によ
    かったと思う。

     第3部「大和沈没編」は4月に発刊予定である。今から楽しみだ。

     門田隆将氏には来る8月15日、午後2時から住之江会館で開催される戦没者追
    悼祈念講演会で、講師としてお招きすることが決定している。 

  • ■海保警察権強化の法案が閣議決定

    ■海保警察権強化の法案が閣議決定

    閣議決定されたことにより、いよいよ法案が国会に上程された。これからが正
    念場となる。注目していきたい。

    ●海保警察権強化 法案を閣議決定
    [産経ニュース 2012.2.28 17:56より抜粋]

     政府は28日、海上保安庁による海上警察権を強化するため、海上保安庁法と
    領海等外国船舶航行法の一部を改正する法案を閣議決定し、国会に提出した。国
    境の離島での不法上陸などに対し、海上保安官が警察官に代わり陸上で捜査・逮
    捕できる規定を盛り込んだ。

     対象の離島は法案成立後に海保と警察庁が協議して指定するが、尖閣諸島(沖
    縄県)や沖ノ鳥島(東京都)、南鳥島(同)などが指定される見通しだ。

     法案では、天候悪化などやむを得ない理由がないのに領海内で停泊するなどし
    た外国船について、現行法で必要な立ち入り検査を省略して是正を勧告し、退去
    を命令できると規定。

     海上保安官による任意の「質問権」の対象者を、従来の船舶所有者らに加え、
    治安確保上、重要な事項を知っているとみられる陸上の関係者まで拡大する。

     政府は平成22年9月の尖閣の中国漁船衝突事件を契機に法改正に着手。その
    後も、中国の漁業監視船や海洋調査船が領海などに侵入する事案が相次いでいる。

     藤村修官房長官は記者会見で、「わが国周辺海域の情勢の変化に対応し、海保
    が担う業務を的確に遂行するための法案だ」と述べた。

  • ■国旗国歌条例後の卒業式の様子

     去る2月25日の産経によると、府教委は24日、公立学校教職員に学校行事での
    国歌の起立斉唱を義務付ける国旗国歌条例成立後、初めて行われた府立高校32校
    の卒業式で、国歌斉唱時に6校8人の教職員が起立しなかったと発表したとい
    う。この結果をもって、条例の効果はなかったと国旗国歌に対して批判的な組合
    員や人々は言っているが、果たしてそうであろうか。これはもともと条例に対し
    て反対している人々の言なのではなかろうか。

     まず条例が成立したからこそ、卒業式シーズン前の1月に、府立学校の全教職
    員約1万3千人に職務命令を出すことができたのではないか。これまで職務命令は
    平成23年度入学式では9人、22年度入学式では0人、卒業式では7人、21年度
    は入学式0人、卒業式が9人と実は府教委は職務命令を限られた教員にしか出し
    ていなかった。それだけでなく、不起立の教員に対しても懲戒処分は平成21年
    度卒業式では4人、23年度入学式で2人とほとんど処分をして来なかったこと
    からも、国歌斉唱時に不起立であっても何も対応して来なかったことが問題で
    あった。

     ほとんどの府民、保護者にとってみれば、「生徒や来賓が起立しているのに、
    教える側が不起立なのは一体、常識を欠いているのではないか、生徒への教育配
    慮が足りないのではないか」と考えて当然なのではないかと思う。

     職務命令に違反するとは、普通の会社で言えば、上司の命令に従わないわけで
    あるから、解雇処分を受けても当たり前の話である。そして職務命令は国旗国歌
    条例が成立したからこそ、出しやすくなったというわけだ。

     残りの府立高校など131校の卒業式が順次、行われることとなっているが、大
    量の不起立者が出るにしても、府教委は毅然とした処分を行えば、確実に不起立
    者は減っていくのではないか。

  • ■英霊への鎮魂の心と沖縄への愛着が深まった2日間 ~なにわの塔慰霊祭に帯同して~

    なにわの塔前で記念撮影
    なにわの塔前で記念撮影

    去る2月22日(水)から23日(木)にかけて、神道政治連盟大阪府本部主催、
    日本会議大阪共催の「沖縄・なにわの塔慰霊祭」があり、小生も沖縄に行ってき
    た。参加者は総勢33名。昨年は丁度、3月の東日本大震災直後の沖縄行きであっ
    たが、それに引き続いて2回目の開催となった。

    天気予報では22、23日と沖縄の天候は曇りから雨ということであったが、沖縄
    独特の局地的なスコールの合間を縫った形で、幸いにもよいお天気に恵まれた。
    伊丹空港出発の時にはコートなどの防寒が必要であったが、さすがに沖縄は
    22~23度あり、少し汗ばむ天候であった。

    ○2月22日-波上宮参拝、なにわの塔慰霊祭

    那覇空港に到着すると、最初に波上宮参拝と古来からの祈りの聖地である崖橋
    にある拝所に心から手を合わせた。拝所からは慶良間諸島をしっかりと捉えるこ
    とができ、集団自決された島民の人々と最期まで戦い続けた軍人・軍属の人々へ
    思いを馳せた。末安宮司からも尖閣防衛や宜野湾市長選で表れた民意がどのよう
    なものであったのか、地元ではどう考えられているかについてのお話があった。
    また権禰宜の石田君や日本会議沖縄県本部の坂本君も出迎えてくれたことは嬉
    しかった。坂本君は週末に坂東忠信先生(元通訳捜査官)の連続セミナーの準備
    中ということであった。

    その後、糸満市の平和祈念公園内のなにわの塔へ。大阪は各県の慰霊塔が建っ
    ている敷地の中でひときわ広く、慰霊祭を斎行するには絶好の場所である。当た
    りはクファデーサーの大きな幹の葉が所々枯れているものの、塔や同敷地に合祀
    されている南方諸地域戦没者の碑をやさしく抱いていた。
    祭壇には大阪から持ち寄った供物を献上、斎主を務めた山根・枚岡神社禰宜の
    心を込めた祭詞が響き、糸数・住吉神社宮司による御神楽の時にはそれまで晴れ
    ていた天気が微かに霧雨のように降ってきて、すぐに英霊の涙雨であると直感した。
    昨年、今年と慰霊祭に参列し、慰霊とは繰り返し続けることであること、塔の
    前でここに鎮まれる御霊に触れて慰めるとともに、その志を継承することである
    ことを痛感した。
    慰霊祭後、スタッフとしてお手伝いをする中で、祭具、テントを片付け、お祭
    りを司った祭員の方があとかたづけを済ますために引き続いて仕事をしているこ
    ともわかり、このお祭りに向けて心を砕いていることに敬意を表したい思いで一
    杯となった。

    終了後、那覇市内の「金城」という居酒屋で懇親会を行ったが、ライブなども
    あり、たっぷりと沖縄情緒に浸ることができた。その後、宿泊場所のポートホテ
    ルへ。

    ○2月23日-普天間宮参拝、海上自衛隊那覇基地見学、旧海軍司令部跡見学、沖
    縄県護国神社自
    由参拝

    翌日は朝方まで大雨警報がかかわらず、普天間宮に到着した時には嘘のような
    爽やかな天気となった。普天間宮は赤瓦で、もう隣は普天間飛行場であるが、同
    飛行場は市内の中央の丘に位置し、森が遮断されていることもあり、その動きは
    市民からは目にすることができない。この神社は柱の中をくり抜いて鉄柱が挿入
    されていて、頑丈そのものの構えだ。参拝後、拝殿の後ろに位置する洞窟は自然
    に発生した鍾乳洞で、その奥まった所が拝所となっていて、ここも人々の昔から
    の信仰の本拠地である。洞窟内はじめじめとしているが、何か霊気のある感じが
    する。
    平良禰宜が市長選、基地の問題についてお話をして頂いたが、基地の存在に
    よって人々の生活が成り立っていることにも触れ、いかにマスコミが一部のみの
    報道をしているのかを実感した。

    続いて海上自衛隊那覇基地(第5航空群)を訪問。恥ずかしながら那覇空港と
    隣接していることを知った。第5航空群はまさに南の最前線で東シナ海を中心と
    する南方地域を防衛する拠点である。広報、幹部の方々との昼食会、基地トップ
    の高橋司令の講話と続いた。司令は関西防衛を支える会会長、大阪府神社総代会
    の副会長であった高橋季義のご子息であり、父親似で人なつっこく、庶民的雰囲
    気のある方であった。その後、整備補給隊の位置する場所に移動、対潜哨戒機P-
    3Cが格納してある倉庫を案内された。整備庫も4機程、同時に整備できる位であ
    ろうか。テレビや新聞の写真とは異なり、その威容に驚いた。外にも同機4機が
    あった。10数機が24時間、常時、ローティションを組んでいる。聞くところで
    は、P-3Cは全て米国ボーイング社制の飛行機の改造であるといい、国産は数年後
    に配備予定であるという。
    我々もまさに稼働中で、一時、休止している同機の内部見学だけでなく、コッ
    クピットの運転座席も座らせてもらい、これが最新鋭の哨戒機であることを体感
    した。とにかく夥しいボタンの数が並んでいて、これを縦横に操作しているのか
    と思うと、本当にすごいと思った。むっとする位の重圧感と、熱気を伴った暑さ
    を感じる。
    最前線の防衛に従事する人々と飛行機の存在によって東シナ海域は守られてい
    るのだ。

    そして那覇市と豊見城市の境に位置する旧海軍司令部跡へ。あの大田中将の最
    期の電文はここから発せられた。現在は壕の200メートル程を進むことができる
    が、全長が約100メートルあり、全て兵士が掘ったものであり、激戦が予想され
    る中で準備をする気の遠くなる作業を終え、そして最期まで兵士が立てこもった
    場所である。土を掘った兵士、作戦を練った兵士、負傷して、休憩した兵士と、
    戦われた人々の息使いが狭い坑道と部屋を巡る中で伝わって来る。その責任感と
    ひたすら国の将来と県民のことを思われた司令部とそれを支えた人々がおられた
    と思い続けることの重さが身体中を締め付けるようで、思わず苦しくなったが、
    壕出口に出て、眼下に海を見ることができる解放感から、ようやく現実に引き戻
    される感じがした。

    続いて沖縄県護国神社で自由参拝した後、那覇空港から帰路に着き、夜7時35
    分に関空に到着した。1泊2日の慰霊の旅行となったが、非常に充実した時間を
    過ごすことができた。

    沖縄には英霊の方々の思いが一杯、鎮まっており、その英霊の方々に心を寄せ
    ていくこと、そして今、御霊の思いが詰まっている沖縄へ侵略を企てる中国に対
    して、片時の暇もなく守り続けている人々の努力を目の当たりすることができた
    旅となった。
    併せて守るべき対象の沖縄との距離感がグッと縮まり、心から沖縄を守るとは
    沖縄と本土との固い絆をわが身に宿すことが大切にことを実感したのだった。

    次は5月に沖縄県祖国復帰40周年記念大会に参加、準備のお手伝いに、また沖
    縄へ来ることとなるが、絶好の前哨戦となった。

  • ■中堅神職研修会で笹幸恵氏が講演、その接待で石清水研修センターへ

     本日、2月21日(火)の午後、石清水八幡宮研修センターで開催されている近
    畿地区神社庁の中堅神職研修会でジャーナリストの笹幸恵氏がご講演されること
    もあり、小生が仲介させて頂いたこともあり、講師の送迎も兼ねて研修センター
    へ赴いた。

     以前も中堅神職で同氏をお招きしたが、今回はガダルカナル島での遺骨収集活
    動の模様についてスライド写真を上映しながらのお話であったが、数年前のお話
    からより深化したものとなっていて感銘を受けた。

     それにしても笹氏が平成17年以来、直接、海外に戦友会などの人々と直接、
    様々な島に足を踏み入れることによって遺骨収集するという作業を続けることに
    よって、米軍の動きに伴う当時の日本軍がどのように進路をとってきたのか、そ
    して玉砕してきたのかが手にとるようにわかって、本ではイメージできないこと
    が彼女の頭の中ではしっかりと体系づけられていることがわかり、実地体験がい
    かに大切であるかがわかった。

     講演の中では政府派遣団では既に時間的に限界があり、現在では自主派遣隊を
    組んで遺骨収集を行っていることも紹介されたが、未送還遺骨数が113万柱に及
    んでいることから、これでも全く追いつかないこと、ご遺骨の焼骨式では厚労省
    の役人が同席しなければできず、自主的に遺骨作業をする場合には、ご遺骨は大
    使館に一旦、預けることとなるために、故国に戻るにはまだ時間がかかることな
    ど問題点も指摘された。
     また、掘り出されたご遺骨を前にして、弔うという行為によって戦没者の御霊
    が慰められるので、宗教界の人々に課せられている使命は重いとした。

     そして海外での倒れられた人々のご遺骨がまだそのままになっていることを知
    らないことは罪であり、無関心は恥であると言われ、何か突き詰められる思いが
    した。

     今回は受講生の若い神職の方々も熱心に聞いていて、活発な質疑応答もなされた。

     今の日本が普通の国家になるためには、国のために斃れられた人々のご遺骨を
    国が責任をもって故国に送還できる体制にすることも大きな視点であることを実
    感した。

     明日から翌日まで沖縄・なにわの塔慰霊祭に出かけるに当たって、慰霊の心構
    えを聞くことができて大きな収穫となった。

  • ■明治神宮でご平癒祈願祭に参列

     18日、天皇陛下の心臓の冠動脈バイパス手術が行われ、無事終了されたとのこ
    と、本当に心配させて頂いたこともあり、正直ほっとした気分であった。

     この日は、午後から明治神宮社務所にて日本協議会中央理事会があり、小生も
    上京、会議の前に明治神宮で陛下のご平癒祈願祭があり、心を込めて明治天皇の
    御霊に手術が無事に終わりますようにお祈りすることができた。

     明治神宮でもお見舞いの記帳所が設置されており、多くの参拝者が列をつくっ
    て記帳をしていた。

     それにしてもこの日、ご手術の最中で日本協議会が明治神宮でこの1年間の運
    動方針についての会議を開催していること自体、何か大きな意義を感じている。